今月の海

択捉島内保湾

うみひるも No.50より_択捉島内保湾

うみひるも No.50より_択捉島内保湾

うみひるも No.50 (2009.11.15発行)より

 

北海道知床半島カムイワッカの海

うみひるもNo.92より_知床半島カムイワッカ

うみひるもNo.92より_知床半島カムイワッカ

うみひるも No.92 (2012.01.16発行)より

北海道の宗谷岬から東側の海は、オホーツク海である。オホーツクの沿岸は東南方向に続き、知床半島で終わりになる。知床半島のオホーツク側(北西側)は、冬には流氷が押し寄せる世界でももっとも緯度の低い海である。一方、夏には、黒潮が分かれて日本海を北上する対馬暖流が、宗谷岬を越えてオホーツク沿岸を流れ、最後に知床半島に達する。流氷で知られる知床半島にも夏は暖流が流れ着く。また、オホーツク海北部に流れ込む大陸のアムール川は、オホーツク海と南側の千島列島南部、知床半島周辺の海の高い生産性を支えていることが明らかになってきた。知床の海は、冬の厳しさと高い生産性と多様な生態系を維持していることから、世界自然遺産として日本で3番目に登録された。温泉としても有名なカムイワッカの滝が直接流れ込む海には、多くの観光客が訪れている。(北海道知床半島にて 向井 宏撮影)

北海道厚岸湾

うみひるもNo.106より_北海道厚岸湾

うみひるもNo.106より_北海道厚岸湾


うみひるもNo.106より_北海道厚岸湾2

うみひるもNo.106より_北海道厚岸湾2

うみひるも No.106 (2012.10.01発行)より

北海道東部の太平洋岸は、日本でも唯一暖流の影響がない海域で、冬は静穏域で海水が結氷する。冬の1月末から2月中旬にかけて、気温がマイナス10℃を下回ると、海水の表面に薄い「蓮の葉氷」が張り始め、徐々に多くの蓮の葉氷がくっつき合い、成長して厚さを増やし、とくに冷え込んだ朝などは、厚岸湾全体が結氷することもある。近年は、温暖化の影響もあり、冬でも結氷しない年も見られるようになってきた。結氷と流氷は違うものであるが、流氷もオホーツク海の北西部、アムール川の河口沖で形成されるときは、海氷の形成と同じような現象が起こっているだろう。流氷は、毎年北海道のオホーツク海沿岸に押し寄せるが、納沙布岬(のさっぷみさき)を超えて太平洋岸にやってくるのは、最近では10年に1回程度になってしまった。 (北海道厚岸湾にて 向井 宏撮影)

北海道厚岸湾大黒島

うみひるも No.74より_北海道厚岸湾大黒島

うみひるも No.74より_北海道厚岸湾大黒島

うみひるも No.74 (2011.02.20発行)

北海道の東部、厚岸湾口にある無人島「大黒島」は、日本のみならず世界の野鳥愛好家なら知らない人はいないほどの有名な海鳥の観察場所である。北の海鳥のコシジロウミツバメの国内唯一の集団営巣地として知られ、約 200 万羽がこの島で営巣する。その他にも、オオセグロカモメ、ウトウなどが多数営巣する。周辺の海は立派なコンブ類の海中林が優占し、コンブの良漁場でもある。暖流の影響のない典型的な親潮の生物相をもち、オニヒザラガイ、オオバンヒザラガイなどが見られる。海中ではイシコ、キンコなどのナマコ類やウミアザミなどのサンゴ礁とは違ったカラフルな生物相が見られるのも特徴的だ。ゼニガタアザラシの上陸・繁殖地としても有名。一時減少したが、現在では約 300 頭が生息している。(厚岸町大黒島にて 向井 宏撮影)
 

北海道釧路市益浦海岸

うみひるも No.60より_北海道釧路市益浦海岸

うみひるも No.60より_北海道釧路市益浦海岸

うみひるも No.60 (2010.05.16発行)

北海道東部太平洋岸は、釧路から東と西では著しい景観の違いがある。西側は延々と続く砂浜海岸であり、東側は高い海岸段丘の海蝕崖が続く。この海岸段丘は約 80m くらいの高さがあり、釧路から厚岸、根室半島の納沙布岬に至り、さらに国後、択捉と続く。道東の太平洋岸は雪が少ないが冬の低温・強風と夏の海霧の影響で、海岸段丘の上の平原には風衝草原ができ、低地ながら高山植物のお花畑が広がる。海は千島海流(親潮)が流れ、陸には豊富に残る河川両岸の湿原の影響で、有機酸鉄を豊富に含んだ栄養豊富な河川水が沿岸に供給されるため、生産性が高く、海水は濁っている。(釧路市益浦海岸にて 向井 宏撮影)
 

宮城県気仙沼市舞根湾

うみひるも No.88より_宮城県気仙沼市舞根湾

うみひるも No.88より_宮城県気仙沼市舞根湾

うみひるも No.88 (2011.11.01発行)より

今年 3 月 11 日の東北太平洋沖大地震とそれにともなう大津波は、宮城県気仙沼市でも大きな被害を出した。気仙沼湾の小さな枝湾であるこの舞根(もうね)湾では、カキ養殖で知られた内湾であるが、すべての養殖施設は津波で流出してしまった。民家も 50 戸のうち 44戸が流出した。現在、この湾内でカキの養殖を復活させる試みが行われているが、養殖場を経営している畠山重篤さんは、「森は海の恋人」運動で知られる人で、この舞根湾の流域全体を人工林の間伐施業や、地盤沈下して浸水している沿岸をヨシ原などの湿地や干潟に返すことで森と海の連環を復活し、海の健全さを取り戻そうと試みている。森は海の恋人研究所も畠山さんの出資で、近々建設される予定であるという。(宮城県気仙沼市舞根にて 向井宏撮影;湾内に浮かぶのは急遽復旧した養殖筏。手前の陸上は、民家があった場所。すべて津波で流されてしまった。)

宮城県気仙沼市九九鳴き浜

うみひるもNo.90より_宮城県気仙沼市九九鳴き浜

うみひるもNo.90より_宮城県気仙沼市九九鳴き浜

うみひるも No.90 (2011.12.03発行)より

宮城県気仙沼市の九九鳴き浜は、細かい粒の揃った石英砂でできた砂浜で、乾燥すると足下で砂が鳴くことで有名な浜である。今年3月11日の大津波で、海岸が沈下し、それまで陸上にあった林が砂浜に変わり、木々は枯れた。それまでの砂浜が半分以下に減ったという。さらに陸にあった杉の植林帯は写真に見るようにすべて枯れてしまった。(気仙沼市九九鳴き浜にて 向井 宏撮影)
 

茨城県日立海岸

うみひるも No.57より_茨城県日立海岸

うみひるも No.57より_茨城県日立海岸

うみひるも No.57 (2010.03.14発行)より

茨城県日立市の海岸は長い砂浜が続く鹿島海岸のもっとも北側にあり、所々に岩礁の岬を配した景勝の地である。しかし、近年は急激な砂浜の消失が続いている。この浜も侵食防止のためのコンクリートブロックが、まるで万里の長城のごとく汀線を覆い尽くし、岬の岩礁もコンクリートブロックで囲まれている。波による侵食を許したのは、他ならぬ人間が作ったダムや港湾なのだが。景観を損なうものは人間の愚かさの証拠。(茨城県日立市の海岸にて向井宏撮影)
 

茨城県鹿島神宮寺海岸

うみひるも No.77より_茨城県鹿島神宮寺海岸

うみひるも No.77より_茨城県鹿島神宮寺海岸

うみひるも No.77 (2011.04.16発行)より

日本の砂浜が全国で消失し続けている。日本有数の砂浜が 100km も続く鹿島海岸も例外ではない。かつて遠くまで砂浜が続いていた海岸も、写真に見るように砂浜は消失してしまった。砂浜の消失速度は平均でも年間 2~3m あり、ここ神宮寺海岸ではわずか 7 年で 50m近くの砂浜が無くなった。砂の流失を食い止めるために、コンクリートブロックによる突堤が日本中の砂浜に造られているが、ここ鹿島海岸では、さらに巨大な人工ヘッドランドの建設が行われた。砂浜消失の根本的原因は、ダムや港湾の防波堤による砂の供給阻害である。しかし、根本的な原因にたいする対策はとられず、対症療法的な対策ばかりが巨額な費用を必要とする事業として行われている。この海岸も今年の 3.11 の大津波でどのような変化を遂げたか、まだ情報はない。 (向井 宏撮影)

千葉県銚子市君ヶ浜

うみひるも No.85 より_千葉県銚子市君ヶ浜

うみひるも No.85 より_千葉県銚子市君ヶ浜

うみひるも No.85より_千葉県銚子市君ヶ浜_人工リーフ

うみひるも No.85より_千葉県銚子市君ヶ浜_人工リーフ

うみひるも No.85 (2011.09.16発行)より

君ヶ浜は、半島状に太平洋に飛び出した千葉県銚子市の犬吠埼の北側に位置する。関東地方でもっとも東にあり、太平洋から登る日の出を最初に見ることができることで有名な場所でもある。半島の北側に利根川の河口があり、利根川から供給される砂によって、砂浜が 1kmにわたって弓なりに続いている。しかし、近年、砂の流出が続き砂浜は往時の半分以下に減少している。砂浜の消失を防ぐ目的で、国交省は砂浜の沖に人工リーフを建設した。人工リーフは、それまでの離岸堤が景観を壊すという意見に配慮して、海面上に姿を見せないように海面下に作った離岸堤である。天然のサンゴ礁を模したと説明板にはある。どの程度、人工リーフが砂の消失に効果があるのかは、不明。(向井宏撮影)

愛知県田原湾汐川干潟

うみひるも No.64より_愛知県豊橋市汐川干潟

うみひるも No.64より_愛知県豊橋市汐川干潟

うみひるも No.64 (2010.08.16発行)より

愛知県三河湾は日本の三大内湾に数えられるが、その有機汚染はひどく、今でも赤潮の発生は一年中におよぶ。東京湾や有明海と同様に汚染の原因の一つは埋め立てによる干潟の消失である。その三河湾の最奥部から細い水路でつながる田原湾は今も残る汐川干潟で有名。かつては 2000 ha という広大な干潟だったがここも埋め立てで現在では 280 ha に減少している。干潟にはエドガワミズゴマツボ、カワグチツボ、ヘナタリガイ、ウミニナなど準絶滅危惧種の巻貝が生息する。さらなる埋め立て計画があったが、市民の運動で現在では埋め立て計画は凍結されたままである。(愛知県豊橋市汐川干潟 遠景は三河港大橋 向井 宏撮影 2008.10)
 

京都府天橋立海岸

うみひるも No.55より_京都府天橋立海岸

うみひるも No.55より_京都府天橋立海岸

うみひるも No.55 (2010.02.16発行)より

京都府北部の丹後半島の付け根にある「天橋立」は、舞鶴湾の水の流れによって砂が堆積した砂洲(砂嘴)でできた細長い半島。日本三景の一つとして昔から優れた景観で知られているが、この半島も砂の供給が無くなり、痩せて消滅の危機にある。現在は写真のように半島全体に人工突堤と砂の搬入でかろうじて砂浜を維持している。地元では世界遺産を目指しているが、ノコギリ状の砂浜では、自然遺産になるのは無理でしょう。砂の供給を復活することが大前提。(2009年4月京都府日本海側天橋立海岸にて向井宏撮影)
 

和歌山県白浜町瀬戸

和歌山県白浜町瀬戸

うみひるもNo.70より和歌山県白浜町瀬戸

うみひるも No.70 (2010.12.01発行)より

和歌山県白浜町瀬戸には、京都大学の瀬戸臨海実験所が1922年に創設されて、海の生き物の研究を行ってきた。とくに海産動物の分類研究の泰斗である内海富士夫博士や時岡隆博士などが長年この海岸で海産生物を採集し、多くの新種を発表した。日本の海産生物の多くがこのような全国の臨海実験所での研究に基づいて記載された。この海岸は臨海実験所の裏側にあり、自然環境がそのまま保全された海岸である。本州南部の温暖な気候と黒潮の影響を受けて、この海岸では石サンゴ類も見られ、タカラガイ類など暖かい海の生き物が多い。近年の温暖化にともなう南の海からの漂着物も増えている。

広島県細ノ州

うみひるもNo.96より_広島県県細ノ州

うみひるもNo.96より_広島県県細ノ州

うみひるも No.96 (2012.04.01発行)より

瀬戸内海には、まるで川のような速さで潮流が流れる島と島の間の海峡部の前後に、砂でできた広大な干潟があちこちにあった。細ノ州もその一つ。非常に多様な底生生物が棲んでいたが、瀬戸内海の汚染が進む中で、その多様性も激減してしまった。海水の汚染が改善されても、一度いなくなった生物は、帰ってこない。さらに海砂の採取が長く続いたために、干潟も次々に姿を消している。(広島県三原沖の細ノ州にて 向井宏撮影)
 

鹿児島県種子島鉄浜海岸

うみひるも No.61より_鹿児島県種子島鉄浜海岸

うみひるも No.61より_鹿児島県種子島鉄浜海岸

うみひるも No.61 (2010.06.16発行)より

鹿児島の南、黒潮が直接海岸を洗う種子島の北東海岸に鉄浜海岸はある。鉄浜という名は、浜の砂に含まれる多量の砂鉄に由来する。島の北半分は西之表市だが、東海岸は人口も少ない。種子島といえばサーファーのメッカ。ハワイのワイキキと同じような波が楽しめる。しかし、この日の種子島は強い西風が吹き、鉄浜海岸はおだやかな波で、サーファーたちもやや拍子抜けだった。種子島にはいくつも素晴らしい砂浜が残っている。後背地にコンクリート護岸がない自然海岸がまだたくさん残っている。種子島に住み着いている若者が多いのも、この素晴らしい海のせいだろうと思う。(西之表市鉄浜(かねはま)海岸にて 向井 宏撮影)
 

鹿児島県 種子島 原之里海岸

うみひるも No.83より_鹿児島県種子島原之里海岸

うみひるも No.83より_鹿児島県種子島原之里海岸

うみひるも No.83 (2011.07.18発行)より

鹿児島県種子島の中種子町の南西にある長浜海岸は、東シナ海に面し、長さ 12km におよぶ種子島で最大の長大な砂浜海岸である。「原之里海岸」は、そのほぼ中央に位置する。ほぼ全体が自然海岸であり、人工構造物がないため、砂浜上部には、砂丘が広がり、塩生植
物帯も広がっている。白い砂浜と美しい夕陽の眺めは絶景である。ウミガメが産卵に上陸し、地元では砂浜の保全に取り組んでいる。春にはハマゼリの山菜採りや潮干狩りが楽しめる。また、サーフィンを楽しむ若者も四季を通して多い。沖に馬毛島の姿が見える。近年は、漂着ゴミの増加が景観を損なっている。(向井 宏撮影)

沖縄県古宇利島

うみひるも No.63より_沖縄県古宇利島

うみひるも No.63より_沖縄県古宇利島

うみひるも No.63 (2010.07.15発行)より

沖縄県沖縄島北西部の今帰仁漁港の向かい側にある古宇利島に古宇利大橋が架けられたのは、ほんの 5 年前。ジュゴンが訪れて海草を食
べている美しい海に架橋工事が行われた。工事の影響がどの程度あったか、今となってはよく分からないままだが、ジュゴンは今でもやって来ている。しかし、海草藻場の面積はやはり減少したといわれている。付近は小島がたくさん浮かび、透明な海水と相まって絶景を見せ
る。橋の存在は 350 人程度の島の人にとっては、今ではもう手放せないものになっているが、観光客が大幅に増加し、船で行き来していた頃の美しい海は、いっそう先行きが案じられるようになった。(沖縄県古宇利島からみる古宇利海峡と古宇利大橋 向井 宏撮影)

沖縄県名護市辺野古の海と大浦湾

名護市辺野古の海と大浦湾

うみひるもNo.67より名護市辺野古の海と大浦湾

うみひるも No.67 (2010.10.16発行)より

沖縄県沖縄島北東部の名護市辺野古と隣接する大浦湾はジュゴンが生息し、巨大なアオサンゴが生き残る沖縄の宝の海だ。政府とアメリカ軍は、普天間基地の撤去の条件にこの海の埋め立てを画策している。しかし、調べれば調べるほど、辺野古と大浦湾には、貴重な海の生き物がたくさん息づいている。公共工事で壊され続けている沖縄の海の自然。辺野古の海を埋め立てるのは、沖縄の息の根を止めることになりかねない。(名護市辺野古の海と大浦湾 立川賢一氏撮影)

沖縄島残波岬

うみひるも No.72より_沖縄島残波岬

うみひるも No.72より_沖縄島残波岬

うみひるも No.72 (2011.01.16発行)より

沖縄県の沖縄島西海岸中央部読谷村にある残波岬は、知る人ぞ知る観光の名所である。東シナ海に向かって突きだした岬の先には、美しい海が広がり、琉球石灰岩の高い崖が長さ2km にわたって連なり、その景観を引き立てる。この岬が 66 年前に激しい米軍軍艦の砲撃によって形も変わったと言われるほどの戦争を経験したとは思えない靜かなたたずまいを見せている。多くの観光客で賑わう岬の対岸には巨大
なリゾートホテルが建ち、海には若者たちの水上バイクが騒音をたてる。海の中のサンゴ礁もかつての面影はなくなってしまった。(沖縄島残波岬にて 向井 宏撮影)

石垣島玉取崎から見る伊原間海岸

うみひるも No.83より_沖縄県石垣島玉取崎から見る伊原間海岸

うみひるも No.83より_沖縄県石垣島玉取崎から見る伊原間海岸

うみひるも No.79 (2011.05.16発行)

琉球列島の南端の八重山諸島の中心が石垣島である。石垣島の東北に長く突きだした平久保の半島の根元に玉取崎がある。ここから見る井原間海岸の展望はまさに秀逸である。沖縄本島の海岸のようにコンクリートで固められていない素のままの海岸が広がっている。海岸沿いの道路も造られていない。海岸林も残されている。景観に配慮した海岸保全が行われている。このちょうど反対側の西側で、環境省のモニタリング 1000 のアマモ場調査が行われている。(石垣島にて 向井 宏撮影)
 

西表島浦内川河口干潟

うみひるも No.52より_沖縄県西表島浦内川河口干潟

うみひるも No.52より_沖縄県西表島浦内川河口干潟

うみひるも No.52 (2009.12.16発行)より

沖縄県八重山諸島の西表島の浦内川は原生的な自然が残されている亜熱帯の川であり、河口付近には広大な砂質干潟が広がり、マングローブ林が熱帯特有の生態系を作っている。河口干潟にはトゥドゥマリハマグリ・ムラサキオカヤドカリが生息するなど希少な動物も非常に多い。近年この河口横のトゥドゥマリの浜(月ヶ浜)の砂浜直前に大規模ホテルが建ち、河口域生態系が汚染される危機に陥っている。また、エコツアーと称するカヌーによる多数の観光客の入り込みによる環境への影響も心配されている。(2004 年 4 月西表島浦内川河口にて 向井 宏撮影)